「山伏」とは

「阿含の星まつり」境内地を駆け巡る修験行者の山伏たち。なぜ星まつりにおいて山伏修行を行うのか、野を駈け、山に伏して、自然の中に心身を鍛錬する山嶽密教の「山伏」についてご紹介します。

「山伏修行の現代的意義」

桐山靖雄著『末世成仏本尊経講義』より

阿含経にしるされた釈尊の成仏法を修行するためには、強健な意志と体力を必要とする。(これは釈尊の成仏法のみとは限るまい。健全な社会生活をするためには、不可欠な要素である)

また、現代の、脆弱化した若ものたちに最も必要なものこそ、強健な意志と体力ではないのか。これは、釈尊の成仏法を修行する、しない以前の問題である。

まして、成仏法を修行するためには、なによりも、強健な体力と意志が必要だ。

じっさいに、若きゴータマは、国中にならぶ者なき武術とスポーツの達人であった。 そしてかれのすぐれた弟子たちの多くは、貴族や富豪の子弟で、教育はもちろん、スポーツ、武術を身につけたエリートたちだったのである。そのかれらにして、はじめて、釈尊の成仏法の修行がなし得たのである。

いまの若ものたちを、どう鍛練すべきか。

それには、野を駈け、山に伏して、自然の中に心身を鍛練する山嶽密教の、山伏修行こそ最もふさわしいものとわたくしは考えたのだ。そしてなによりも重要なことは、 あの厳寒の東山山頂で、白い息を吐きながら一心に祈る数十万の大衆、そして結界の 中で火の粉と水を浴びながら一心に法を修する山伏すがたの若ものたち、ここに宗教の原点があるのである。そこには阿含経も大日経も法華経もない。炎とともにふきあがる熱い祈りの渦がある。これが「宗教」なのだ。

アメリカには、ボーイ・スカウトという組織がある。これは、体育と徳育を兼ねたすぐれた若もの練成の組織であると思う。

かつて、日本にも、これに似た制度、組織があった。それが、山伏である。
明治政府のうち出した「排仏毀釈」以前の山伏信仰は、在家信仰の修行として、じつに盛大なものがあった。関西において、吉野大峰の毎年の登山修行者は、年間、数百万人を越えたのである。これによってじつに多くの若ものたちが、心身の鍛練と霊性の陶冶に大いなる実をあげたのである。

このごろ、企業が、新入社員に坐禅をやらせるのが流行のようである。それも結構だが、わたくしは、年に十日くらい、大自然の山野にほうり出して、野を駈け、山に伏す山伏修行をやらせたほうが、さらに益するのではないかと思っている。

全国から星まつりに集う山伏

皆さんが結界をはじめとした星まつり会場で目にする大勢の山伏。剃髪し得度した僧侶もいますが、その多くは、ふだんは勤め人であったり、家庭人であったり、学生であったりと、ごく普通の生活を送っています。星まつりのこの日に向けて各地から集い、それぞれの持ち場についています。